~守り継ぐ伝統と想い~馬防柵を愛する会インタビュー

こんにちは! 東郷広報PR部員の佐々木みなみです(^U^)ノ”
今日は、東郷地区のシンボルとも言える”馬防柵(ばぼうさく)”がテーマの投稿です!
みんなが目にしたことのあるあの馬防柵、実は陰にはたくさんの努力と地元を愛する強い想いがありました・・・!


馬防柵って・・・?


まずはじめに、馬防柵とは何なのかおさらいしましょう!
木の丸太が格子状に組み立てられている柵…これが”馬防柵”です!!
馬防柵が最初に作られたのは、織田・徳川連合軍と武田軍が戦った「設楽原の戦い(長篠の戦い)」の起きた天正3年(西暦1575年)頃と考えられています。
その際、織田・徳川連合軍が火縄銃を有効に使い、武田軍の騎馬隊を迎え撃つために新しい戦法として編み出されたのが、この馬防柵です。

馬防柵を愛する会インタビュー

事務局の菅野さん(左側)と、代表の中嶌さん(右側)

今回は馬防柵を愛する会の代表の中嶌さんと事務局の菅野さんのお二人にお話を聞かせていただきました!
馬防柵を愛する会では大きく分けて
1.馬防柵の改築           
2.馬防柵付近の環境整備       
3.史跡台帳まとめによる歴史遺産の記録
4.”見える化”アピール        
のような活動を行っています。

0.馬防柵再建計画

そもそも、なぜ馬防柵を愛する会が発足したのか。そこには長年受け継がれてきた沢山の人の地元を思う気持ちがありました。

実は設楽原の戦いが終わってから400年ほどの間、馬防柵は東郷地区のどこにもありませんでした。
昭和56年(西暦1981年)に『長篠合戦図屏風』を参考に馬防柵の設計図がつくられ、
3回の準備会ののちに合戦以来初の建設がされました。
地元の歴史を実体化しよう!という思いから活動が行われ、その際に「馬防柵」という名称も決められました。

その後、地元住民からの激励の声を受けて設楽原をまもる会が5年毎に馬防柵を改築するようになりました!
そして平成25年(西暦2013年)に新城市地域活動交付金制度を利用して『馬防柵を愛する会』が誕生し、その活動は今年で9年目に入ります。

~~ 新城市地域活動交付金制度についてはこちらをチェック ‼ ~~
https://www.city.shinshiro.lg.jp/kurashi/chiikijichiku/jichiku-togo/kofukin.html

1.馬防柵の改築

   

以前は5年毎に改築していたようですが、現在では毎年場所を分割して柵の部分修正をしているそうです。

かつては実際に里山から材料の切り出し・運搬をして、皮むき・乾燥・防腐剤塗布・組み立てをする作業を真冬の寒空の中2ヶ月かけて取り組まれたこともあったようです。
かなりの重労働ですが、設楽原をまもる会の方達、長篠・設楽原鉄砲隊のみなさんや市議会議員の方など沢山の人の協力の下、みんなで力を合わせて馬防柵を作り上げ維持しているそうです!

現在は、作業の効率化を図るためや人手不足なことから、木材を発注して部材を入手してそれらを針金で留めたあと麻ひもで”垣根縛り”で固定し地面に建てる方法で馬防柵を作っていらっしゃいます。
連吾川沿いの126.6mの馬防柵だけでなく、竹広地区にある設楽原歴史資料館にも馬防柵をつくっています!

───「改築の必要がなくなるようにコンクリートで出来た擬木で馬防柵を作ってみては?」
という声もあったようですが、自然に溢れた景観に馴染ませるため、実際の馬防柵とより近い状態にすることで臨場感を味わわせるために、手間ではあるけれど今の方法を継続されているようです。こういったちょっとした気遣いからも愛する会の方々の馬防柵愛を感じました。

馬防柵を愛する会 豆知識①
実際に戦で使われた馬防柵は、岡崎の山から重たい丸太を人力で担いで来て馬防柵を組み立てていたそうです!

2.馬防柵付近の環境整備


馬防柵を愛する会では、馬防柵周辺の環境整備にも力を入れています。
例えば、通路の砂利の整備や雑草の整備など土曜日や日曜日の昼間に「観光に来た方が気持ちの良いように」という気持ちで活動されています。
お二人の話によると、作業中に観光に訪れた若い人たちとお話できたり、自分たちが作った馬防柵を見て「すごい!」と感想を言ってもらえる時間がとってもたのしいそうです(^▽^)♪

馬防柵を愛する会 豆知識②
織田徳川連合軍が作った馬防柵、実は織田と徳川で配置の仕方がすこ~し違う!!

3.史跡台帳まとめによる歴史遺産の記録

  
馬防柵を愛する会では、馬防柵周辺での活動に留まらず市内各地に所在する史跡の資料の保管活動も行われました。
具体的には市内各地106ヶ所をめぐり、上に示した写真のようにひとつひとつの史跡の文字をトレースして記録します。この作業をたったの14名で行ったそうです!
ときには山のてっぺんまで山道を1時間歩いたこともあるそう・・・!!

そんな14名の皆さんの努力の成果がこちら!! 
↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓ ↓

6つの台帳としてまとめられ、設楽原歴史資料館の資料室に大切に保管されています。
史跡の文字の記録だけでなく、”どのような意味を持って建てられた史跡か”などの資料も付随されています。

4.”見える化”アピール


馬防柵を愛する会の活動として、馬防柵の入口に平成28年(西暦2016年)合戦屏風絵図を見れるように設置し、昨年令和2年(2020年)アピールの強化と劣化防止を目的として屋根を設置しました!
左手に設置してある長旗を模した柱も趣があって素敵ですよね!
他にも設楽原歴史資料館や連吾川・馬防柵周辺の旗竿の補修など”見える”部分に力を入れているそうです!

馬防柵のこれからの守り方

ここまで馬防柵を愛する会の活動について教えていただいたことをまとめてきましたが、いかがだったでしょうか?
馬防柵がずっとあの場所にある背景にはたくさんの時間と努力があったのです!
いままで馬防柵を訪れたことがない人はもちろん、行ったことがある人も今一度馬防柵を訪れてみてはいかがでしょうか?
馬防柵を愛する会の方にも会えるかも・・・?!

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また、馬防柵を愛する会では新しいメンバーを絶賛募集中です!
・歴史に興味がある人
・地元のために活動したい人
・土日に趣味が欲しい人
・地域の人と交流したい人
年齢問わず、様々な視点からの意見を求めています!
興味を持ったら、ぜひ活動に参加して、中から一緒に東郷地区を支えていきましょう!
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