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今年で第32回になる「設楽原決戦場まつり」。しかし、この2年は新型コロナウイルス感染拡大のため縮小を余儀なくされていた。このコロナ禍においても歴史の継承に尽力する「設楽原をまもる会」にお話を伺った。
( インタビュアー:加藤 稜唯)
コロナで変わる「設楽原決戦場まつり」
加藤 まず最初に「設楽原決戦場まつり」が開催されるまでにどのような準備を行っているのかをお聞かせください。
今泉会長 設楽原をまもる会が、全体として次の「設楽原決戦場まつり」に動き出すのは正月明けくらいかな。東郷各地区の代表役員が、「設楽原をまもる会」の会員募集のために各家庭にお邪魔する時かな。「まつり」は大きく分けて、信玄塚での陣没者の慰霊法要、馬防柵での東郷地区小中学生の「戦国合戦絵巻」の再現、資料館前では、東郷東小の子供たちによる「真っ赤な夕日」の演舞もあるが、君も踊ったんだよな。
加藤 踊ってますね。
今泉会長 踊ってますよね、「真っ赤な夕日」。それから馬防柵に移っていろんなことをやるんだけれども、馬防柵での武者行列だとか。武田軍と織田徳川連合軍に分かれての子供武者をやるんですけど。やりましたよね?
加藤 やりました。
今泉会長 君たちが参加してくれた頃と大きくは変わってないですよ。その後、火縄銃演武も行われます。資料館前では、鉄砲の戦いの質問コーナー、甲冑を着て戦国武者の格好をしようとか、ほら貝を吹いてみようとか。また、地元物産展とか、来場者への飲食の提供もということで「軽トラ市」もあります。これらの会場整備、テント設営、交通警備等は年々難しくなってきています。
清水事務局 決戦場まつりの検討は一年くらい前から始めたいですね。というのは小中学校の行事も関係してくるものですから。先ほど会長も言ったように年明けてからいろいろと具体的な作業内容を詰めていきます。正式には4月に「設楽原をまもる会」総会を開催し、その後早い時期に「決戦場まつり実行委員会」を開いて準備作業に入ります。これには東郷地区の皆さんのご協力をお願いするものです。東郷地区から200人以上の皆さんのご協力をいただくとともに、消防団やPTAなど各方面からもご協力いただき、小中学生は別としても300人以上の皆さんのご協力があってはじめて決戦場まつりができると思っております。
加藤 今年の「設楽原決戦場まつり」は式典だけと伺ったのですが、それに至る経緯をお聞かせください。
今泉会長 これはコロナですよね。昨年も3月くらいにはやる予定だったんですよ。ですけど、なかなか情勢が難しくなってくると言うことで。それから新城戦国絵巻三部作といって5月の初めに「長篠合戦のぼりまつり」がありますよね、5月の第2週に「作手古城まつり」があります。それから私どもの「設楽原決戦場まつり」が前までは7月の初め頃あったんだけども、いわゆる高温だとかで昨年は6月の初めにやるということになったんですよ。ですが、結局そのような状況でできなくなると。どうしようかということでバタバタしたんですけども3部作と言うことで一緒にポスターを作ってるんですよね。だからポスターを刷り上がってたんだよね。だけども急遽取りやめて、今年も同じような状況なんですよね。
今泉会長 取り止めてどうしようかとなったけど、法要もやらずに、第何回とは出来ないとのことで、昨年度と同様に、第32回「設楽原決戦場まつり」の戦没者供養を勝楽寺で行いました。外部からは、東郷地区区長会長の今泉嘉一矢部区長と武田家旧温会代表と湯浅設楽原歴史資料館長に出席いただきました。
夏目副会長 私はこの会に入って日が浅い一番若造なんですけども、やはり昨今のコロナ禍ですべての人間の社会活動がかなり制限をされておるというなかで、この決戦場まつりも致し方ないことなのかなと思います。会長が説明したように決戦場まつりというものはとりあえず開催したという形にはしてありますが、内容としては戦没者の慰霊のための法要であります。しかも、相当人数を絞っていわゆる三密を避けるという意味で、これは昨今の状況を鑑みれば致し方ないことだと思います。これで今ワクチンの接種がだいぶ進んできておりますが、これがどんな風に展開していくのかなかなか見えにくいところはあるんですけども、昨年それから今年についてはこれはやむを得ないのかなと思います。じゃあ、来年できるかどうかっていうのもまだまだ現時点では不透明でありますが、ただ一つかなりの確率で想定できるのは、今までと同じやり方でやる、コロナ前に完全に復活できるかというとおそらくできないであろうと思います。で、そうなってくると決戦場まつりっていうものは来年度仮に何らかの形でやるにしても相当形を変えるなり、いろんなことを工夫しながらやるしかないのかなっていう気がしています。今年、若干動き出しておりますけれども、「設楽原をまもる会」の方でどんな風に来年度以降、将来的に設楽原決戦場まつりを持ってくのかというのが「設楽原をまもる会」に現段階で課せられた一番大きなテーマ(課題)なのかなっていう気がしています。まだ具体的なものはどんなふうにっていうのは全然これからの話であるので、ちょっと踏ん張っていろいろ考えなければいけないという思いで現段階はおります。
清水事務局 何らかのかたちでやらないと、この決戦場まつりが続いていかないということで、法要だけをやらしてもらったが。なお、来年度以降はまた別途考えるということで。
変えていく祭りの形
加藤 「設楽原決戦場まつり」を開催する中で大変ことをお聞かせください。
今泉会長 結局地域の支えがないとできないんですよね。200名以上の方の協力が必要で。その人達と気持ちを一つにするというのも難しいもので加藤さんは東郷東地区出身みたいだけども、西地区の子供たちというのは何年生が決戦場まつりに出てるか知ってますか?
加藤 存じ上げないですね。
今泉会長 第24回(平成25年開催)までは、西小学校のこども達は6年生だけの参加だけだったんですよ。鳥居強右衛門と一緒に岡崎まで援軍要請に出かけた人が、富永(川上地区)出であったこともあって、「東と西では同じ東郷地区でも、、、?」と言うことで、5年生も参加してくれるようになったんですよ。だけど、子どもたちが参加するのは地域の理解と協力がないと難しいんですよ。
夏目副会長 中心になって動かれているまもる会の方々が年を追うごとに高齢になり、身体的にきつくなるというのは当たり前の話で。そういった中でこういった規模のイベントをやるっていうのは年を追うごとにえらくなってきているなというのは僕の目から見ても非常によくわかります。これをなんとかしないとそのうちに、とてもできない時が将来来るなというのは思わないでもない。若い人がどんどん入ってくれば良いっていう話なんですけれども、今はそれはあまり期待できない。というのは、一言で言えば価値観の多様化ていうようなことで片付けられちゃうけれども、いろんな趣味趣向を持っている方がいる。その中で決戦場まつりにっていうのでみんなが一枚岩になってやっていきましょうって言うような状態を作り出すのは今後まず不可能に近いんじゃないのかなと思う。そういった時にほんとに有志だけでやっていくような形に恐らくなっていくのかなという気がします。ただ、そうは言っても何もせずに手をこまねいてるっていう訳にはいかないものですから、東郷広報PR部のホームページの中で取り上げていただいて少しでも東郷地区に浸透させれればと期待してます。
これからの「設楽原決戦場まつり」
加藤 最後に「設楽原決戦場まつり」の今後の展望についてお聞かせください。
今泉会長 長く続いたものだから、形は変えてもとにかく東郷地区のお祭りとして継続をしていきたいですね。
清水事務局 とにかく、まもる会だけではできない事業ですから、そこら辺を含めて相談していくしかないかなと思います。
夏目副会長 まあ、あのこれは決戦場まつりに限らずほとんどすべてのものがそうなんですけれども、日本という国が戦後高度経済成長をずっと遂げてきました。で、いわゆるすべてが膨張してきたんです。その流れが未だにある。特に年寄りは成功体験を持っておりますから。ところが、周りの世の中がそういう状況ではなくなってきているというのは事実なもんですから。コロナが良い見直しのきっかけを作ってくれました。今年は9月を予定してますけど、次年度の決戦場まつりをどんなふうにしていこうか考えていきます。そんな中で同じことをどういうふうにやっていくかではなくて、見直しをしてく。省けるところはどこなのか。それから、ただ単に今これだけのものがある、それをバサバサバサと切っていってこれだけにしましょうっていうのも一つの手なんだけど、それじゃ能がないとおもいますので、いろいろと形を変えるっていうものも模索しながらやってくということなんだろうなと思います。今、具体的にこんなことをこういうようにしてくというようなプランは無いのですが、今後夏以降しっかり議論していこうと思います。
設楽原をまもる会HP http://www17.plala.or.jp/sitaragahara