暮らそう
どのような人生を送ってきたんですか?
佐々木 よろしくお願いします。今回東郷ホームページの取材ですので、東郷地域に関することについてお聞かせいただきますので、戸田さんは東郷地域に住まれて、もう何十年と住まれていると思うんですけど。人生でどんなことをされてきたか仕事とか、そんなことを、この戸田工務店のことなど、教えていただいただけますか。
戸田さん 大工の倅として生まれたので,中学の時にはもう、私は就職組に入っておったんですね。親方も決まっていたんです。
佐々木 親方は決まってたんですか。
戸田さん 中学卒業して、修行する親方なんですけど、親父が決めたの。
稲垣 昔はそうだよね。
戸田さん そうそう昔は。だから自分が職業を何しようなんてのは、そんな自由は一切なかった。そんな中で、おふくろが、私が長男坊ですから、はい。高校ぐらい出てないと戸田家継げないと、その嫁さんが来ない,見合いの話も来ないという時代だったんですね。で,自分の意志とはもう関係なく、親の意思で、突然、年が明けたぐらいから、高校へ行かなくてはいけない。無理ですよね,就職しようとしていたもんで。でもしょうがない。この当時は、公立志望者はたくさんいました。で,たくさん学校があってですね,その中で私立の高校で試験を受けたんですが,試験もやったのかな?よくわかりませんけども(面接のみ?),なんか入れて。で,高校に入学して、高校3年間、1年のときには、ひどいと感じていた学校でしたから、こんなところにおれはなぜ行くんだろう,正直,辞めてやろうと思っていましてね。
佐々木 はい・・・そうだったんですね。
戸田さん 本気で辞めようなんていう 気持ちがあったんですけども、2年のときに、進学クラスと就職が分かれるんですね。そういう学校でも、ちゃんとした子がいるんですよ,ほんのわずかですけど。こういう人が集まる集団の方が何か夢ありそうだなと思って。大学進学はないんだけど,進学クラスに入りまして。で,入ると,何か面白いんですね、自分の今まで知らない世界がわーっと広がって、例えば、公立高校をすべったような賢い連中もいましたし,ちょっと刺激されました。いえ、当然もう大学なんていうのは無理ですからねえ,何せ親父がゆるしてくれませんから,高校だって駄目でしたから。大学行くなんて勘当されるぐらいでしたから。なら専門学校はどうかということで。2年ですからね。それぐらいはいいだろうという形で、当時、大阪の万博っていう、もうあのころの私らにとっては、海外は月みたいなところだと思っていましたから。あそこ行けばもう世界中の人に会えるような、夢があったんです。
佐々木 ちょうど大阪万博の時期だったんですね?
戸田さん 18のときが万博の準備をしていたときで,18,19,そして20歳のときに万博が開催されました。目的はもう万博に行くのが目的だったんです(笑)。運よく、両親をだまくらかして、大阪の専門学校へ行って,ただ、当時、東京と大阪に田中角栄さんが作った高度成長期の職人を育てないといけないということで,土木建築専門の学校がありまして,大阪と東京に。東京の方がレベルが高いんですけど,ただ、万博があるということで、東京のレベル高い人たちが行くはずだった人たちがみんな大阪に流れてきて、まあまあ、賢い子たちがね、そこで、いろんな人に行き会って、私の寮の隣の子が、北海道大を滑った子だったんですね。
佐々木 へえ(驚き)。
戸田さん 3つ年上だったんですけど,(出会ったことが)私にとってはすごい世界で。
佐々木 ・関原 へえ(驚き)。
戸田さん 彼からすごく影響を受けたんですね。彼はその後、イタリアに行って、ミラノで大学を出て、向こうで嫁さんをもらって、設計事務所開いていて、ヨーロッパのイタリアの花の都ミラノで、デザイナーとして、やっています。
インタビュアー全員 へえ(驚き)。
戸田さん なんか,やはり人の出会いというかね、ここの会もそうですけど,人と出会うってことはすごいことだな。それも、志を同じようにもった方々と。そういう形で自分が、成長したのは自分の力じゃなくて周りの刺激だったんです。
佐々木 なるほど。
戸田さん それが私の人生ですから,東郷地域自治区もですね。区長というのをきっかけに、会長の稲垣さんは先輩ですからね。こういういろんな方と出会えるんですよ。
佐々木 その今話聞いてると本当、中学校卒業したら大工になるような流れだったのが、お母様の一言で。
戸田さん 人生が変わったんです。
佐々木 でも,それがすごいたくさんの人が出会いになったということなんですよね。
戸田さん だから、やはり仲間。同じ志をもった仲間というのは、大事ですよね。いくつの年になっても。今は稲垣さんの背中をみて私は・・・。
稲垣 いや,何を言ってるの!
佐々木 稲垣さん,すごい褒められてますよ。
戸田さん 本当そうですよ。
稲垣 私は足元にも及ばないよ。
戸田さん いやいや,やはりそういう意味では、学生時代も社会人も、今のこの何ですか自治区の活動もですね、仲間ですから。やはり、それなりに同じ方向を向いていますからね。あの,楽しいですよ。全然年が違っても,白頭さん(自治振興課職員)は私の息子ぐらいだけども、でも(彼も)同じ方向に向いていますからね。そういう意味でお互いに若い人でも刺激を受けたり、私から刺激をもらったりして、人の出会いというのは、これは・・・大事ですね。出会いたくて出会えるもんじゃないし,会いたくて会えるもんでもないし・・・ね。
稲垣 出会いは財産だよね。
戸田さん 私にとっては,やはり出会いがすべて変えたし、今もいろんな仕事やってますけども、自分で開拓したというよりも、周りに助けられてきちゃったんでしょうね。
東郷地域協議会に参加して・・・
佐々木 ちょっと話戻すんですけど、先ほど八束穂で区長さんやられているときに,東郷地域の自治のことをちょっと関わられたということですけども、区長さん時代に何か取り組まれたこととかってありますか?
戸田さん 区長時代はですねえ、もう(東郷地域協議会の)1年目は何にもわかりませんでした。あれは申し訳ないけど、私にとっては宇宙語でしたね。稲垣さんとかしゃべることは、よくわからなかったんですが、1年目は何をしようとしているのか。(今までの活動の)延長線上で話ししていますからね。私もその前のことがわからんから,よくわからなかったですね。目的も,協議会も。
関原 協議会も?
戸田さん 協議会で2年目に区長辞めて、そのまま在籍させていただいて。やっとこういうものかとわかって、2年の経験で3年目もやってみようと。動ける行動をね。
佐々木 はい。
戸田さん だからやはり、1年目の区長さんなんかは(協議会のことが)わからず、入ってわからず、辞めてく。だから稲垣さんがおっしゃるように、2年とか3年とか在籍することが大事だね。
佐々木 そうですね。やはり自分も地域協議会1年目やっていて、やっぱり結局なんか、何か予算とか、交付金だとかいろいろ繋がっていくんですけど全く分かっていませんでした。時間がたって何年か経験しているとこはこういうもんなんだっていうのは,わかってきました。
戸田さん そうだよね,市長の建議なんて,何だろって。
佐々木 建議,そうですね(笑)。
戸田さん そういう意味ではもうちょっと噛んで含むようにしてあげないと,経験者はわかってるんだけど。私らみたいに1年生にですよ,何をするのかなとかね。
稲垣 どうしても役所様のことが優先されているからね。そこら辺はもっと噛み砕いてわかるように説明してやらんといかんわね。
戸田さん あと,活動交付金でも、もっとわかりやすくね,目的はわからんかったんですよ,私が(地域協議会に)入ったときに。最終着地点はどこにあるのかな。あの人たち(活動交付金団体)は,交付金もらって、最終的にどこへ行き着くのかなと。目的ね。(五反田川)カメの会もあるだけども、地元で誘いもあるんですけど。じゃ,毎回草刈ったり川整備したり、ボランティアやるんだけども、どこを目指して、最終着地点はという、というのはただ交付金というものなのかとか。で,白頭さんにも言うんだけどね。やはり最終どこに行きつくかってことをしっかり決めておかないと,ただ、ただやってるという。
佐々木 ふるさと「信玄」を愛する会というのは,戸田さんが関わっていたと聞いていますが。
戸田さん 私が区長のときに相談があって、個人的に相談があってですね、ため池について。考えてみたら,そのため池が歴史道とかね、武田勝頼の本陣って,才の神ってすごいとこですよ。そこを通らなきゃいけないんですよ。よく私も山仕事に入っていると若い女の子1人で歩いていることがあって,1人で山の中を。いや,あのため池ってのはもう、腐敗しちゃってね、はあ、とんでもないにおいがするし、車は入れないし当然ね。だから、その歴史という物事と、地元の対応がすごい温度差があるんですよ,すごい歴史でしょ,あれ。そんな場所なのに,そこの地域の人がそれを対応しているのが、余りにも低すぎるじゃないですか,温度差が。結構コアな人が来るんですね,あそこ。観光じゃなくて、本当にすごい好きな人が。
佐々木 はい。
戸田さん そういう方が来るような、なんて言いますか、観光地でもすごい歴史舞台で、日本だって関ヶ原とかそれぐらいに匹敵するぐらいの歴史でね、地元の(愛知の)三英傑(信長・秀吉・家康)だか、皆そろって。そういう歴史の経過を見ると、地元の人の対応が、対応っていうか、おもてなしが,余りにも低すぎるっちゅうかね。そういう形で、せっかくこんないい場所があるのなら,交付金があるならね。みんなで出し合ったら大変だからね。綺麗に整備して,交付金団体にちゃんと上げたらどうっていうことから,そこに皆が乗ってきたんですね。
佐々木 今,話聞いて本当に自分も同じことを思っていて。そこまでこの交付金団体みたいな。いろんなとこあるじゃん。この設楽原に関する団体はね。だけどそれやっぱり地域の他の人から見たときに,ここに何があってという看板がちょっと足りないかとか,何かどこ行ったらいいのかとか、ちょっとわかりにくいとか、そういったところを何とかして・・・つまり地域の方の対応がっていうところなんだけど、うん。
戸田さん 東郷地域を歩いている方が、ここってすごく手を入れてるよね、やさしくしてくれているよねって感じるような道ね。雑草が生えているため池があって,シカがそこに入って落ちて、死んで腐敗しちゃってもうどうしようもないから,市役所でね、鹿を出してよとか、そんなようなボウフラが湧いたとか、でもそこに来る人とは、すごく勉強して学んで、好きで、1人じゃないですか。そういうときに、地元の対応、優しさとかね、おもてなしが何を感じられないと思うんですけど。
佐々木 ちょっとにおいをするようなところで、何かこれどこなのか通っていいいのかよくわからんようなところでみたいな・・・そんな感じですよね。
戸田さん 旧所名所に行ったときに、ちょっと花が植わっているとかね。ちょっと少しちょっとベンチが置いてあるとか、優しさを感じるじゃないですか,その地域が。おもてなしをしてくれているなと。ウェルカムな感じでやっているなっていう感じで。だけど,あの道はそんなことは全然感じられない。来た人は地元をどう思うだろうなっていると思います。新城にすみたいなんて、思いませんよね。環境もそうなんで。
佐々木 本当に、そう確かに自分も見てても自分のところの近くに最近新城のナイアガラっていうその人工の滝のところが、注目されているんですけども,そこも別に駐車場が特にしっかり用意されていない。もう少し説明すると、滝は長篠発電所の取水口なんですけど,水力発電の方式自体がナイアガラ方式となっていて、見た目も内容もナイアガラの滝なんですよね。そういう話も調べたんでわかるんですけど、そういう伝えるような看板もないんですよね。そのような観光に関して、やっぱりおもてなしがしっかりしていないと・・・。
戸田さん それは優しさを感じないと。県が市外から来た方が、新城って,優しいまちだよね、ここなら住んでもいいなっていう気持ちのスタートが切れない。私らはいろいろ旅すると、この町なら住んでみたいなっていうのが、やはり優しさじゃないですか。道端にね花がこうやって絶対に人が手を入れているなとか。
佐々木 なるほどね。
関原 そうですね。
戸田さん 誰かが手を入れている花だよと。そういうのが、感じられる道にしたらどうという。信玄(ふるさと「信玄」を愛する会が整備した道)はね。
佐々木 わかりました,なるほど。
戸田さん だから、そっからスタートして、皆さんが今、2年目かな。皆さんがやってくださって,道が綺麗になっていますよ。あれならおもてなしの道路、新城を好きになってくださるよね、こういう住民が住んでるだと(笑)。
佐々木 なるほど,そっか。すごい耳が痛いなと思って。
関原 本当ですね。
戸田さん 何か視点が皆さん、何て言うかなあ。その道を作るという、基本はそうなんだけども、それは、一つの作業であってよ。やはり一番大事なのはハートを伝えにゃいかんじゃん。そのとき花が植わっててよ,感性豊かな人は絶対見る花を見て、これって手入れしているなってわかるじゃない。そこにやさしいと感じるんじゃない。
佐々木 やはり普段戸田さんはいろんなものを作られていて、この今日のこの建物(戸田工務店店舗)に入ってみても、だからこれって皆さんってどう感じるんだろうとか、自分はすてきだなってすごく思って。
関原 そうですね。
佐々木 どこ見てもここのテーブル見てもさ,扉なのよ。かっこいいじゃん。だからねえ、戸田さんは人がどう見ているのかということをいつも考えていて,その姿勢が先程の交付金団体の活動に繋がっているんだなって,今話聞きながら思いました。
戸田さん だからね,もう目的,ここの意義は手段であってね。目的が家を作ることじゃないんですよ。これ手段で、目的はやっぱり、やはりこういう感性を持った人の出会いが目的であって,その手段ですからね。交付金が目的だっていうより、あれって手段じゃん。
佐々木 そうですよね。
戸田さん 例えば,出沢の中華料理屋さんがあるじゃないですか。あの前に春になると、水仙がわーっと咲くんですよ。あの水仙は絶対に誰かが手を入れているんですよって,前から思っていたんです。区長のときに地域協議会に入ったら,出沢にあるんですよね。
佐々木 出沢かえる会ですね。
戸田さん 出沢かえる会。そういう人が何百人に1人おるんですよ。そういうように見る人は。見ない人は誰も見たって何も感じないんです。どんなきれいな花を見てもどんなきれいな景色見ても感性が違うからね。いい悪いじゃなくて、でも中にはいるんですね。その人が新城のファンになってくれるんです。そういう方は、いろいろなところに気が付く人なんです。そういう人が、多分、絶対多数をまとめることができるんです。逆はありえないんですよね。何か感じない人が、皆さんをまとめていくのは絶対無理だから。そういう方が、多くの方にいろいろ教えたり、指導していく立場で本当にわかってもらえるんです。それがまさに水仙の話なんです。だから、感じる人はあの水仙について役所にどうしてあそこに植えてあるのとか、誰がやってるのって聞くはずなんですよ。何千人か何百人に一人がね。私だったら聞きますね,あんな綺麗な花を道沿いにね。春になると咲くんですわ。自然に咲いてるじゃないですよね。
佐々木 例えば,今ホームページに取材してますけど、ホームページも見られるものですから、誰かがこのホームページを見られて、その目的としてはその東郷の方を紹介して、こういう方がいるこういうように頑張っているというのを紹介することを多くやってるんですけど。それを見て東郷の人たちが頑張った人もいるなって自分たちも頑張っていかないと思ったり、こういうふうな活動で楽しい町っていうかそういう時に気づいてもらったりだとか、いろんな、ちょっとそういった思いもあるんですけど、だけど、全員が(ホームページを)見ているわけではない。だけど道沿いの花を見て,いいなって思ってくださるように、何人かホームページを見ている人が増えれば、何かそれでいいのかなとは思います。今、話聞きながら思っちゃいました。
戸田さん だから、すぐに手応えはなかなかないと思うんだけども。水面下で、理解している人たくさんいると思う。諦めちゃいけない。信玄を愛する会の人たちも綺麗に道を作ったけど,何の評価もないじゃないって言うけども、水面下で、何も言葉を発しない人が大勢いると。多分ね。
佐々木 そうですね。
戸田さん その中の、多分歴史が好きで、あそこまで訪ねてくる人は、多分私だけ単純に完成を豊かにしたと思うんですよ。時代に流されるじゃなくて、その時代に流れていく人だと思う。いろんな考え持ってる。
佐々木 はい。
戸田さん そういう人は多分そういうふうに理解してると。
佐々木 いやなんか(ホームページをがんばってやっていることについて)元気づけられました(笑)。
戸田さん だから、交付金は,私は手段だと思うんですね。出沢かえる会さんもね。目的はあそこの前を通る道路を走る車のドライバーさんに、ささやかなプレゼントだよという。それが目的でしょ。
関原 はい。
戸田さん そうだねあれを交付金もらうのが目的じゃないですよね,あれは手段なんですよ。
関原 そうですね。
戸田さん 手段と目的をもう1回、佐々木さんたちが、会長も入れて、みんなにしっかり理解してもらわんと。
佐々木 うん,なるほど。わかりました。
戸田さん 草を刈るのが目的じゃないね。やはりみんなが来ていただいて、子供が、蛇とか虫とかって被害に遭わないように、あそこに人が集まるのが目的じゃない。そのための草刈りだと。そんなふうに思います。
今回はここまでです。戸田さんへのインタビューは引き続き来週もお届けします。次回は戸田さんが取り組んでいる「古民家」についてです。お楽しみに。
インタビュー第2弾の記事はこちら!
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◎記事の中で出てきた2つの団体の記事も見てくださいね!
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