今年も、徳川家康公ゆかりの地 新城市「東郷地域」をよろしくお願いします。

 新年あけましておめでとうございます。令和5年元旦も晴天で素晴らしい天気の下、スタートしました。新型コロナウィルス感染拡大から3年が経ち、ようやく以前の生活風景が戻り始めてきました。新城総合公園では、外ということもあり、マスクを外して歩かれている方が多くなりましたね。きっと、今年は活発に行動し始める方が増えるのではないでしょうか。実は、このホームページも大幅リニューアルを計画中です。今年も東郷ホームページを御愛顧していただきますようよろしくお願いします。

 さて、俳優松本潤さんが主役の大河ドラマ「どうする家康」が1月8日よりスタートします。新城市は徳川家康公ゆかりの地として、徳川家康に関わる場所が多くあり、新城市が盛り上がるのではないかと期待している人も多いことでしょう。

 例えば、徳川家康公ゆかりの地として、鳳来寺東照宮がありますね。家康の父広忠とその妻於大の方が鳳来寺山に男の子が授かりますようにと、お参りにきたところ、不思議な夢を見て、その後家康が生まれたといわれています。その話に3代将軍家光が感銘を受けて、造営したのが鳳来寺東照宮です。日光、久能山と並び3大東照宮として言われている鳳来寺東照宮(所説ありますが・・・)。初詣に行かれていない方は、ぜひ行ってみてはいかがでしょうか?

鳳来寺東照宮

 そういえば、市外のみなさんは「新城」をちゃんと読むことができましたか?音と訓がまじった「しんしろ」という読み方はちょっと変わっていますよね。私は高校時代、地理の資料集に長万部と一緒に新城が読み方が難しい地名問題として出ており、そんなに難しいのかとてもショックを受けました(神奈川県に新城と書いてしんじょうという地があって、そっち方が知っている人も多いかも)。この名前の読み方にもちゃんとした理由があります。長篠城主奥平信昌は長篠・設楽原の戦いのあと、武田軍に備えて新しい城を築城しました。それが新城城(しんしろじょう)です。なぜこのような読み方になったかというと、それ以前に新城(しんじょう)という城が近くにあったため、別の読み方にしたんだそうです(新城市HPより)。

 奥平信昌は徳川家康の長女亀姫と結婚し、その後子どもたちが全国各地に広がり、下野国宇都宮藩、播磨国姫路藩の城主となり、本家は豊前国中津藩で明治維新まで続いていきます。徳川家康公と新城市にゆかりの方々が全国各地で活躍していると思うと、感慨深いものがあります。

 そして、徳川家康公ゆかりの地として、長篠・設楽原の戦いは欠かせません。昨年、馬防柵に松本潤さんが来て話題になっていました。1月8日からスタートする大河ドラマ「どうする家康」では、どのように戦いが描かれるのか楽しみです。長篠・設楽原の戦いでは、様々なドラマがあり、まさに家康が「どうする?」という場面もたくさん出てきそうですね。

 戦国時代ファンの皆さん!設楽原古戦場に来てみませんか!設楽原古戦場は、昔の地形がそのまま残っているため、目をつぶれば想像すれば当時の様子がイメージすることができるでしょう。もし訪れるのでしたら、各地に立てられている設楽原古戦場カルタの看板を参考にするとわかりやすいと思います。ちなみに東郷中学校の裏山が家康の陣地となっており、東郷ケッターパーク内に石碑が建っています。

 さあ、2023年がスタートしました。大河ドラマ「どうする家康」と徳川家康公ゆかりの地「新城市」ともども、わくわくするまち東郷のホームページもどうぞよろしくお願いします。

(ライター 佐々木昌也)

 

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