ろ 老将の言 勝頼は 封じたり

ろ 老将の言 勝頼は 封じたり

 5月18日、長篠城救援のため押し寄せた織田・徳川連合軍3万8千の大軍を前にして、武田陣営の軍議は白熱していった。設楽原に出て、連合軍と雌雄を決する戦いを行うべきか、それとも、ここはひとます甲州へ引き上げ、他日を期して戦力を蓄えるべきか、意見は二つに分かれてしまった。とりわけ、信玄以来百戦錬磨の老将たちは、ロをそろえ、血気にはやっての正面決戦は、今は避けるべき時と進言したけれども、若き大将勝頼はその言を退けた。

 父信玄亡き後の勝頼は、人々から期待と不安を寄せられる中で、着々と美濃や遠江を攻略していった。わけても、信玄も落とし得なかった、堅城を誇る高天神城を手中に収めて、まさに自信満々である。今こそ、宿敵の信長・家康を打倒すべき好機到来と、意気盛んな勝頼の陣頭釆配ぶりが、目に見えるようではないか。なお、「敵は手段に困って進撃できないから、こちらから攻撃する」と、国元へ書き送っている。

 しかしながら武田軍の悲運は、この軍議の決定から始まるのであった。そして、千軍万馬を経た老将たちの不安は、3日後には現実のものとなるのであった。

(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)

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