つ 土屋昌次 柵にとりつき 大音声

つ 土屋昌次 柵にとりつき 大音声

 設楽原の戦いに際して、武田軍の右翼隊にある土屋昌次は、胸中深く期するものがあった。先年、信玄の死去に際し殉死しようとしたところ、日ごろ親切に指導してくれる高坂昌宣に強く止められ、「今ここで死ぬのはむしろ容易なことであるが、生き長らえて奉公することこそ本当の報恩なのだ」と諭されたことがある。以来昌次は自分の死に場所をさがし求めていたが、この日敵陣をながめ渡して、「一命を捨てて地下の先君に報いる時が、ついに来たのだ」と、固く決意したのであった。

 昌次は配下の騎馬隊をひきい、佐久間信盛の守る陣地に突進して行った。敵の銃列から撃ち出す弾丸は雨のように降り注ぎ、あたりはたちまち血の修羅場と化していった。昌次は、敵の弾丸をものともせず、第一柵を倒し、第二柵に突破口をあけ、最後の第三柵にたどりついた時、一発の銃弾が彼の胸を撃ちくだいた。「ただ今、君のため心おきなく討死して、高恩を地下に報いん」と呼ばわる昌次の大音声は、いつまでも人々の耳に残り、敵も味方も、その壮烈な最期をたたえて惜しまなかった。

 現在その地に、子孫の手になる「土屋右衛門尉昌次戦死之地」の碑が建っている。なお、供養碑は八束穂八子(はね)にある。

(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)

この記事を友達に教える