ゐ 井戸がわり 大宮川で 渇いやす

ゐ 井戸がわり 大宮川で 渇いやす

 設楽原には二つの川の流れがあって、東側が連吾川、西側が大宮川で、ともに南進して豊川へ出る手前で合流している。戦いに臨んだ織田・徳川連合軍は、この二つの川をうまく使い分けていたようである。

 連吾川の方は言わずとも知れた決戦正面、三重に連ねた馬防柵とともに、武田軍の進攻を阻むための備えにしている。ところが一方の大宮川の方は、兵站用として重要な用水となっていたものと思われる。設楽原に展開している連合軍は3万8千、それに多数の馬を加えると莫大(ばくだい)な水を必要とする。とても、個人の家の井戸水で足りるようなものではない。時あたかも梅雨明け、豊かに流れる大宮川の水は、連合軍の人馬をうるおす貴重な存在となっていたに違いない。なお連合軍は、この大宮川のほとりにも、後詰め用の馬房柵を設けるという慎重ぶりであった。

 ところで大宮川は雁峰山に源を発して、その水は灌漑用として利用される外に、持に上流の山麓地域では、水車用・台所用としても使われ親しまれていたものである。戦いに際しても、やはり生活用水としての役目を果たしていたわけである。

(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)

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