て 手振りよく おどる酒井の えびす舞い

て 手振りよく おどる酒井の えびす舞い

 5月20日、決戦の日を間近にひかえて、軍議の席は熱気をはらんでいた。この日連合軍諸将は、本陣の極楽寺山に集まって、敵を迎え撃つための秘策を練っていたのである。ところか、軍議のもととなる敵情が、物見の兵によって報告されるたびに、人々の緊張と不安は高まっていった。どの物見も、敵軍の堂々たる布陣と軍律きびしい備えを伝えて、音に聞く無敵甲州軍の精強ぶりをうかがうに十分であった。

 ところが、家康の部将酒井忠次だけは、「私のひそかに放った物見の報告によると敵軍の人数も備えもさほどではない。あなどってはいけないが、勝算は十分考えられる相手である」と言った。そして、得意とするかくし芸の「えびす舞」を踊って見せた。手足の動かし方が、まことにたくみでひょうきんで、ことに手ばなをかみながら踊りおさめて退いてゆくところは、満座の爆笑と拍手を呼んだ。おかげで諸将の緊張もほぐれ、その後の軍議は順調に進行したという。

 時に応しての酒井忠次の機智とユーモアが、連合軍の作戦会議に大きな活力を与えて決戦勝因の一つとなったわけである。

(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)

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