さ 佐久間と馬場 丸山とりでの 攻防戦

さ 佐久間と馬場 丸山とりでの 攻防戦

 連合軍左翼陣地の前方に 「丸山」 と呼ばれる台地があって、 その北端は雁峰山のふもとに連なっている。 ここが、 設楽原の戦いの中でも指折りの激戦が行なわれた戦場なのである。

 織田軍の先陣を受け持つ佐久間信盛・滝川一益は、あえて馬防柵の前へ出て、丸山台地にそれぞれの陣をしいた。これに対して、武田軍右翼の馬場信房は、少数ながら兵を二手に分けて猛攻撃を加え、ついに丸山台地を占領した。さらに、同じ右翼隊の真田兄弟・土屋昌次らは勢いに乗って、連合軍馬防柵の第一柵を突破した。

 ここにおいて、東西両軍よりそれぞれに援軍を出したため、混戦・乱戦の激しさを増していった。すなわち、西の連合軍よりは藤吉郎秀吉・丹羽長秀らが加われば、東の武田軍よりは内藤昌豊の中央隊が加わって来た。

 このような状況から戦線も拡大し、「大宮前の激戦」「名高田の激戦」へと広がってゆくのである。そして、真田信綱・昌輝の兄弟や土屋昌次らの勇将を失い、武田軍の痛手は大きく広がっていったのがこの丸山付近の戦いであった。

(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)

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