す 強右衛門 のろしをあげし 雁峰山

す 強右衛門 のろしをあげし 雁峰山

 太平洋戦争前、 東郷東小学校では運動会の騎馬戦などの際に、「三河男児」とともに「鳥居忠士」の歌が勇ましく歌われた。

 1.城の安危を身一つに背負いて立てるもののふの決心固き行手をば誰かさえぎる者あらん

 2.蟻ものがさぬ敵兵の囲みもものかやすやすと川うち越えてひた走り重き使命を果たしけり

 3.援軍すでに間近しと捕われながら叫びつつ敵の刃に倒れしが味方はすでに救われき

 4.三河の国の有海郷(あるみごう)勇士の墓は苔(こけ)むせど桜一本(ひともと)春ごとに

  昔の色ににおうなり

 補作として、「作手宮崎岡崎と、山坂道を13里、使命を果たし軽き脚、ふたたび雁峰山に狼煙(のろし)あぐ」

 「敵の人夫に姿変え、城に入らんと捕えらる、真赤な血しぶき大音声、ああ燃え尽くしたり36才」がある。また、 4百年祭の折には、有海新昌寺に鳥居勝商公4百年祭碑が建てられた。

(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)

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