学ぼう
三河東郷駅より、道を北にとって信玄塚へ向かう途中、坂の右手に赤く濁った池を見ることができる。これが「首洗い池」で、別名「太刀洗い池」とも呼んでいる。
この池は、昔からいつも赤く濁っていて澄んだことがないのは、設楽原の戦いの時、首や刀や武具などの血を洗ったために水が赤く染まり、以来年経てもついに澄むことがなかったのだといい伝えられている。そう思って見ると、赤濁りの水の色に、多くの死者の怨念が込められているようで、不気味な思いにかられた人も少なくないはすである。また、かつてこの池に群生していた「ひし」の実を取って、まるで角立ったようなかっこうから鬼を連想した、幼い日の思い出を持つ人もかなりいるのではなかろうか。
もともとこの池は土地の人々が、防火用をかねた水田灌漑用として造ったものであるが、今は大量の土砂が流れ込んで、満々と水をたたえた昔の面影を見るすべもない。だが、人の世の浮き沈みを映して幾星霜、池はその思い出の数々を土砂として、自らの中に堆積しているのかも知れない。
(かるたでつづる設楽原古戦場 設楽原をまもる会著 より)