暮らそう
せみの声が響き渡る8月の午後、新城総合公園にて集まっていただき、東郷地区八束穂に暮らす60代の女性3名に東郷地区のみなさんの暮らし、いいところなど語って頂きました。暑い日でしたのでマスクは外していただきました。
左から篠原薫さん(新城市八束穂出身)、福田トキさん(北海道中頓別出身)、戸田直代さん(新城市玖老勢出身)
東郷に移住したきっかけ
関原 みなさんの東郷へ移住されたきっかけを教えてください。
福田さん 結婚です。
関原 北海道ご出身とお聞きしました。どこで知り合われたんですか。
福田さん 豊橋です。私は19歳まで北海道で。稚内の方。冬はマイナス37℃、こちらの夏はプラス37℃でしょ、だから生きにくくて。
岡崎の紡績会社で働きながら3年間、学校に通って、幼稚園教諭、保母資格を取って。朝5時から13時まで働いてから学校行ってというのを1週間交代でやってた。勤労学生というもの。職場は兄が豊橋で働いていて探してくれました。
それから豊橋の新設の養護学校に就職して、そこで主人と出会った。5年勤めて、豊橋に住んでたんだけど、3月に結婚して主人のおかあさんがその6月に50歳で亡くなったんです。それでおとうさんから家を守れって言われて、夫が長男ということもあったから。6月25日に亡くなって7月いっぱいで引っ越し来た。一応それが新婚時代。
北海道で百姓やらなかったのにここでやると思わなかった。
実家はホルスタイン、乳牛だけ飼っていてあと畑をやってた。子供のころは長男だけが手伝うから、やらせてもらえなくて。死ぬまでに搾乳してみたいって夢があるね。子供のころ、百姓をやってないから今できるのかも。
戸田さん 私も結婚です。主人とは高校の同級生で。私は高校卒業後、名古屋の呉服問屋に勤めていてそこの寮に住んでて。卒業してすぐの同級会で再会してからの付き合いです。新城で再就職してしばらくして結婚しました。相手の親が建築やってて、主人も継いでいて。次男だから同居ではないけど主人の実家の前の借家に住みました。
関原 篠原さんはここで生まれ育って生活している理由は。
篠原さん 長女だから。私のおじいさんがもし家を出たら生きてるうちは家に入れさせないって言ったの。昔から言われていたよね、長女が家を継ぐものって。2人姉妹だから。主人は長男だけど弟がいてくれたから。ずっと悪いなあって思ってたけど、いいだよって義弟が言ってくれたからね。わたしたちが住む家を建てるときに9ヶ月くらい、私の職場に近かった豊橋に住みました。
毎日の暮らしは
福田さん まずは百姓、トラクターも乗る。稲刈りはコンバインで息子がやってくれる。それからおじいさんの100歳を目指してる。今93歳、全盲になって17年。100歳を目指そう、祝ってあげるでって言ってね。明日どうなるかわからないけど。家を守れ、百姓を守れって言った人のお返しを。7反8畝の田んぼをやってる。畑もあるけど草に負けてる。
篠原さん 桜淵でお店をやっています。もう13年目、50歳の時に始めたの。それまで近くの大学の学食にいたんだけど、50歳でやめようと決めて。ご飯を作ることが好き。いくつまで続けられるかわかりませんけど。病気らしい病気もずっとしてないからこのまま健康でいられればいいなと思っています。カフェを始めてから土曜日も出てくから、家の掃除は主人が全部やってくれて。主人は昔から畑もやってくれてた。
戸田さん 私は主人と建築の仕事をしていて、帳面の方をやっています。息子夫婦が継いでくれたもんで、なんとか順調に引き継げたらと思っています。およめさんは息子と一緒に現場や打ち合わせも行ってくれて大変だし子供も小さいから、全部は押し付けれんけど、私も来年70歳になるから慣れてきたらね。最初はおじいさん(義父)、お兄さん、次男である主人でやってて、おじいさんのやるのを見てて。お兄さんの代になってから、お兄さんのお嫁さんと私2人で帳面をやってたの。それで、会社が別々になってから1人でやってます。兄弟で分かれてから20年になります。
お話する3名
暮らしのモットー
福田さん あんまりわがままを言わない。ちょっと控える。思いはいっぱいあるけど、ちょっと控えるとうまくいく。
篠原さん そうだね。思ったことは全部言わないっていうのはある。家族でもね。息子と一緒に仕事してるけど、向こうは言っても私は控えてる。ケンカになっちゃうもの。
福田さん 私のは受売りだけど、すごく素敵な年配の方が、家族でもね、ちょっと遠慮しとくと上手くいくでって、その口が忘れられない。
篠原さん そうじゃん、うちは4世代9人家族だった時があって。主人は外から来てるしみんながおたがい気を遣わないと上手く回らない。9人分のご飯作るの面白かったよ。楽しかった。
福田さん 私大変だったよー、一番帰りの遅い旦那さんが食べる時ご飯ないの。もう一度作ったよ。
篠原さん 私は初めから取っておいたよ。今は少ししか作らないから、量を見てあーあって思う。面白かった。
戸田さん うちは控えるとかそんな優しいあれはないな。よく兄弟で話すんだけどさ、うちの戸田の家系は、私らの喋りかたも声も大きいし優しい言い方じゃないの。バレーをやってて、おばあさんとおじいさんに子供達を預けていってたんだけど、うちの前を通る人がここのウチはいつもケンカしとるって。女の人も一緒で割と言い方が荒いかな。おじいさんおばあさん同士もそう。一言多いかなぁ。私も主人には仕事場でもハキハキ言うの。旦那さんに我慢してるって感覚はないかなあ。
関原 控えるというのも、はっきり伝えるというのも、それぞれ家族がうまくいく秘訣ですね。
東郷のいいところ
福田さん 自然災害が全くないところがすごくいい。雪がクリスマスに降らないのは寂しいけど、生活しやすい。家同士も離れていて、うちは通りから離れていて静かなのもいい。
戸田さん もうちょっと平らだといいね。北部の運動会に自転車で中学に行った時、八束穂の公民館のところでもうキツかった。
篠原さん それは歳(笑)。子供は毎日行くもんで。
戸田さん そっか。
福田さん、篠原さん こうだったらいいなはいっぱいあるけど、まあ住みやすいね。
篠原さん 散歩してても田んぼも見えて花も見られて季節感を感じる。虫もいるしホッとする。
戸田さん そうだね、国道から少しはなれて田んぼ道とか歩けれるでしょう、いいよね。
これからの東郷に望むもの、みなさんの夢は?
関原 こうだったらいいなでも。
篠原さん お店があるといいよね。買い物がね今はいいけど、歳とったときにね車がないとね。西地区なら全然いいんだけど、東地区はお店がね。昔は東小前の門前の店によく買いに行っただよ。何でも売ってた。いまはアイスを買いに行くくらい。それと国道沿いに何でも屋さんがあったし、魚や林檎、パンを売りに来たりね。
昔は不便だけど人との関わりがあってよかった。まあでも八束穂はいろんな行事やるじゃない。バス旅行とか、お付き合いあるよね。
関原 ではみなさんのこれからの夢はなんですか。
篠原さん 夢?夢かあ・・・夢だって。
なんか、公民館でフラワーアレンジメントをやってるんだけど、そこの仲間と話してて、1人の子は蓮根を作るとか1人の子はパンを焼くのが好きで、うちは主人が野菜を作ってるから、もうちょっと上達させて売れるぐらいのを作って、みんなで一つのマーケットをやりたい。
戸田さん 私もそれはやりたい。地域だけでもいいからやりたい。
篠原さん 場所作ってみんな自分の得意なもの持ち寄って。楽しいじゃないかな。一緒だね。交流の場になるといいな。お年寄りを招いて、まあ自分たちもお年寄りになるんだけどさ。元美容師だった子もいるから、ちょっと前髪だけとかね。
戸田さん うちの畑が近かったら小屋とか建ててね。そういうのが出来たらね。
関原 福田さんは、いかがですか?
福田さん うーん、どんどん人口減ってるから、1人住まいも多くて。小学校があんなに人数が少ないのは寂しいから、子供の声がして賑やかいのがいいかな。年老いていく身で何とも言えないけれど。
戸田さん 東郷と言って、だんだんみんな八束穂の話しになっとる。
福田さん、篠原さん おお、そうだね。東郷の話だったね。
篠原さん コロナが収まったら、いろんなところ行きたいよね。
関原 戸田さんはいかがですか?
戸田さん まだ仕事してるからお店の事務所を、息子夫婦はいろんな人に来てもらいたくていろんなイベントがやりたいって。今はできないけど常にできるようになったらいいなって。だから今は事務所に駐車場を整備してる。庭師さんにやってもらったり、井戸を掘ってみたり。見られる形になるようにみんなでやってる。息子夫婦はうまくやってるからいいんだけど、手助けできたらいいなって。
福田さん 跡が繋がるっていいね。
篠原さん そうだね。
あとがき
東郷に住んでいる人に話を聞いてみよう企画、女性版第一回に八束穂の3名に集まっていただきました。初めてでどんな内容になるか分からない中、快諾してくださった皆さんに感謝申し上げます。帰り際、福田さんがお互い子供が同い年で知ってはいたけど、ゆっくり話ができて良かったとおっしゃってくださいました。東郷の話題はいつの間にか八束穂の話に。三者三様、共感したり、違いを知ったり、楽しい場を作ってくださいました。
インタビュー日 2021年8月29日
インタビュアー 関原香緒里、浅井美夏
文 関原香緒里